その志は宵闇を斬れるのか『その志は宵闇を斬れるのか』時刻は口無しの幽霊さえ眠る、遅い夜。 ここは二百由旬の土地をしいた冥界のお屋敷、白玉楼。 そして私は魂魄妖夢。主に庭仕事と、お嬢様のお守りをさせていただいている。 今まさに、お守りの仕事をするべき時が来たのだ。庭に侵入者の気配を感じたのだ。 剣を取り、庭を走って曲者を探した。が、いなかった。正確には見えなかった。 相手は辺り一帯に暗黒の空間を撒き散らし、自身の姿を消す能力を持っているようである。 「私の名は魂魄妖夢! この白玉楼に侵入する奴は誰だ!」 気合を込めて叫んでみた。相手の反応を伺うために。 これで相手が怯むなら、その程度の相手。怯まないのであれば、それだけの用心をするまでのこと。 「迷いこんだというのなら、引き返せ。そうすれば、危害は加えない」 相手からは一向に反応がなかった。しかし逃げないのらば、切り伏せるのみ。 気配だけで索敵していると、向こうから姿を現してくれた。 やはり暗がりでよくは見えないが、見た目は私と同じく少女。金色の髪をした少女。髪には赤いリボンのアクセント。 身なりは白いブラウスの、袖と胸元だけの一部だけがみえる。 ブラウスの上に羽織っていそうなベストとその下が見えない辺り、他は暗闇と同化させるための黒色かもしれない。 「あんたは割と目が良くないのねー。やっぱり人間だから?」 ようやく相手が口を開いた。声の調子から察するに驚いた様子はなく、落ち着いている。 「そんなことはどうでもいいわ。あなたがここから立ち去るか、斬られるかの、どちらかよ」 妖怪の鍛えし楼観剣を抜刀し、相手に殺気を見せつけた。依然、相手の反応は覇気の篭らないものだった。 「やあね、たまたまここにたどり着いただけよー。それとも、わたしの暇に付き合ってくれるのかしら?」 「ふざけるな!」 相手は不気味さを含んだ笑顔を見せて、両腕を水平に伸ばした。 「わたしはルーミア。遊びましょう、人間さん」 言って、突撃してきた。相手の狙いはこちらの急所、首。 「私の半分は幽霊だ!」 返して、その手を切り払った。妖怪は距離を取り、自分の手を舐めた。 強敵を目の前にした戦士のような笑顔をする妖怪。 気味が悪い。生理的に、そう感じた。 出来れば相手にしたくない相手だ。そう感じた。 眠りを邪魔されたこともあるし、戦闘を長引かせて騒がしてしまうと、お嬢様の眠りを妨げることになる。 ならば一刻も早く、この敵を追い払ってしまわなければ。 妖怪が飛び道具の弾幕を放つ。幽々子様のそれと比べれば何と薄い迫力か。 周囲を暗くすることで避けにくいことは確かだが、それを生かしきれていない攻撃の激しさ。 様子見も兼ねて縦横無尽に走り、不意を突くような罠はないかと探す。 しかしそんなものさえ感じさせない、気力の無さを見せる妖怪。 純粋に大した力が無いのか、あるいは別の方向の力に長けているのか。 笑みを浮かべ続ける妖怪はそれ以外の表情を見せない。故に敵がどんな策を練っているのか察しがつかない。 「ほらほら、逃げることしか出来ないの?」 大小の弾をばら撒くだけでなく、光線状の攻撃も織り交ぜ始める敵。 それでも幕は薄い。本気で狙っていないのか、相手が様子見なのか。 それとも最初に言った通り、妖怪は遊び半分なのか。 確かめるためにも、一太刀浴びせてみせねば。 弾と弾の隙間が一直線に並ぶのを待ち、構える。 その刹那を狙って、走りこんだ。 すれ違いざまの、横文字一閃。 しかし、敵は怯まない。 怯まずに手を振りかざし、あろうことか右肩を殴られた。 「こいつ……!」 飛び道具そのものが布石で、肉弾戦が土俵か。 さらに口を吊り上げる妖怪。してやったぞ、という顔。 伸びてくる敵の手を切り落とし、距離を取った。 遊びと言いながら、肉を切らせて骨を絶つを実践するなんて。狂ってるとしか思えない。 「もう、そんな怖い顔しないでさ。もっと笑いましょうよ。楽しそうに」 「あなたおかしいわよ……ずっと笑って……。何がおかしいのよ」 「その怒った顔がおかしいの」 再び敵の肉迫。やはり急所を狙う、直線的な攻撃。 ならば敵の攻撃を真っ向から受け、全て斬り潰すのみ。 上段、中段、下段。袈裟懸け、胴抜き、足払い。眉間、鳩尾、丹田。 妖怪の振るう技が届く前に、すべて斬り伏せる。 が、斬られど気にすることもなく突進する、宵闇の物の怪。 最早使い物にならないほど手腕を破壊しているはずなのに。 それでも敵の勢いは、留まることを見せない。 「そんな物なの? まだ本気で刀振りかざしてるわけじゃないよね?」 血みどろの指を舐め、狂気に染まる紅色の目を見せ付けて、夜陰の妖怪は嗤う。 ただの剣技だけでは撃退さえしてくれる相手ではない様である。 「言ってくれるじゃない……」 お嬢様や他の休んでいる使いの者には申し訳ないが、術を惜しまずしてこの妖怪は倒せない。 スペルカードを使うべきだと判断したとき、光の蝶々が敵を包んだ。 これは──お嬢様の操る反魂蝶ではないか。 「邪魔者が入っちゃった。仕方ないから、もう帰るー。またね」 敵は逃亡した。あっさりと。 「待て!」 「妖夢。放っておきなさい」 「……お嬢様、しかし」 「あんなの、逃がしてしまってもいいわ。また来たのなら、そのときでいいじゃないの」 「はい……。あの、起こしてしまってすみません……」 「いいのよ。仕方ないわ」 暖かい笑顔。その笑顔で、さっきの戦闘の傷が癒える気分。 「その……すごく不気味な妖怪でした」 「途中から見てたけど、あからさまに嫌がってたわねえ」 「斬っても斬っても笑う、嫌な相手で……」 「もしも今度出てきたら、笑えないぐらい斬ってしまいなさい。さ、もうお布団に戻りなさい」 「はい、お嬢様」 気分も落ち着いてきた。刀を納めて、辺りを見回した。 それはもう酷い有様で、庭木の荒れ具合といえば嵐の通った後のごとく。 「妖夢。夜が明けてからでもいいから片付けておきなさいよ」 妖怪は私に殴り傷をつけて逃亡しただけでなく、仕事を増やしていった。 「……はい、お嬢様。仰せのままに」 すべきことであるとわかっていても、憂鬱になった。あの妖怪め。 ※ ※ ※ 日の出。目を覚まし、身支度。あの妖怪に殴られた右の肩に、青い痣が出来ていた。 寝ている間も気にはなっていたが、無視できる程度の痛みしかなかった。 この状態で剣を取れるのだろうか。ふと思った。 刀を手に取ってみる。おかしい、力が入らない。 寝ている間に、腫れが酷くなったとでも言うのだろうか。 痛みも酷く、気合だけで柄を握ることが出来てもいつものように振るう自信がない。 ため息と共に力を抜くと、握っていた楼観剣が畳に落ちた。 うそ。声が漏れる。 再度握る。痛みはさらに酷くなっており、剣を取ることさえできなくなっているではないか。 「妖夢?」 お嬢様の呼ぶ声がした。 振り向けば、お嬢様が肩越しにいらしていた。 「え……あ、おはようございます。すみません、お呼びに気づけませんでした……」 「あの妖怪に何かされたのね」 「え?」 お嬢様の手が、私の傷を撫でた。嬉しくも、恥ずかしい。 「何度も呼んだのに、返事がないからどうしたのかと思えば……酷い怪我ね」 「……右手では、刀が握れません」 「うん。少し待ってなさい。湿布を取ってくるから」 言って、お嬢様が部屋を出ていかれた。 どうやら痛みに悩んでいる間に、お嬢様が自然とお目覚めになったようである。 いつも起こすべき自分が起こしていないことに、お嬢様は私を心配なさって来てくださっていた。 それにしてもこのままでは危ない。 湿布を貼ったところですぐに治るわけではない。 つまり、このまま昨夜の、ルーミアと名乗った妖怪と対峙すれば勝ち目は少ない。 片手、本気の二刀流無しで如何にして奴を倒せばいいのか。 例えば変に小技を使わず、一気に大技を見せ付けて素早く倒してしまうか。 例えばお嬢様と協力して倒すか。いやいや、お嬢様の手を煩わせるわけにはいかない。 例えば──。 「妖夢」 「え?」 「ほら」 冷たい湿布を突然貼り付けられた。驚いて、声が出る。 「もう、いたずらしないでくださいお嬢様」 「妖夢が隙だらけすぎるのよ。粗方、あの妖怪の倒し方でも考えていたんでしょう?」 「う……」 「図星、か。考えすぎなのよ、妖夢は」 「しかし、もし今夜にでも現れたら……!」 「あの妖怪はきっと当てもなく放浪しているだけよ。また現れるかどうかは、わからないわ」 「でも、いつかは出るかもしれない」 「本当に頑固な子ねえ……。今日は一日仕事を休みなさい。それでゆっくりお考え」 「ありがとうございます、お嬢様。お言葉に甘えさせていただきます」 「それと妖夢。安静にしてなさい。今日は稽古も休みなさい」 「はい、わかりました」 「こうでもしないとあなたは休んでくれそうになさそうだもの」 「……お察しの通りで」 お嬢様が使いの者に持ってこさせ、朝餉を運んできてくださった。 お礼を言うと、部屋から出て行くお嬢様。 漬物を口に含んで、再び考える。 ルーミアが出るのは恐らく、夜。存在自体が夜のようなものだ。 なら、夜までに何かいい策の一つでも考えておくのが得策かもしれない。 今日一日でどれだけ肩が回復してくれるだろうか。 安静するとして、少しでも回復してくれれば一瞬で決着が着くよう、なんとかできるかもしれない。 少しの間だけでも二刀流で闘えるのなら、手数と得意技ですぐに倒してやる。 しかしそれができなければ、不利でなくとも相手の有利分が増えてしまうかもしれない。 お嬢様が張ってくださった湿布に触れる。やはり肩は痛い。 お嬢様は本当に今度ルーミアが出てくるかどうかはわからないと仰った。 それでも私は、どうも嫌な予感がしてならない。 そう、あの妖怪はきっと今夜にでも舞い戻ってくる。この白玉楼に。 ※ ※ ※ 肝心の庭の手入れは、結局私以外の使い者がすることに。 私が散らかしたとも言えるのに、私は縁側に腰かけて見ているだけである。 何とも、みょんな気分だった。 お嬢様が三時のおやつにと、柏餅を一緒に召し上がろうというときに思いついたことがある。 あの妖怪は力そのものはあるものの、上手く使いこなせていないのではないか。 辺りを暗闇にすることで、確かに離れていれば相手がどこにいるかわからない。 しかし向こうはあまり飛び道具は自慢のものではない様子。 ルーミアは相手に近づき、殴る蹴るの原始的な破壊行為で相手に傷を負わせることを主としている。 素手対刀剣。 刀の間合いに入り辛い楽園の巫女や、白黒魔法使いならともかく、相手はこちらよりも間合いが狭い。 素手と刀とどちらが強いかという理論や理屈はこの際無視して、あの妖怪との相性を考えてみる。 あの妖怪は素手で闘うが、武術の類を身につけていない。文字通り、腕脚を振り回す使い方しか知らない。 直線的、直情的、本能的な攻撃なら私の剣術でも十二分に対処できる。 むしろ、これぐらいの敵を倒せないようでは師匠様に合わせる顔がないというもの。剣を振るう者の名折れというもの。 結論からいえば、相手の調子に合わせてこちらの調子を崩すことがなければ、負ける要素はないということ。 たとえ暗くされたところで、相手を見失うことはない。 相手から近づいてくれるので自然と察知することができるからだ。 「今度あの妖怪が来ても、私が負けることはないでしょう」 胸を張り、お嬢様に結論だけを言った。 「さすがは妖夢ね。もうあの妖怪に勝つ方法を考え付いたなんて」 「恐れ入ります。後は自分の体を休めるだけです」 「では妖夢、おやつはこれぐらいにしましょう。ゆっくり、お休みなさい」 考えごとをしていたために、一つも味わえなかった柏餅はもうない。 冷めたお茶を空きっ腹に流し込んだ。 深夜まで、まだ時間はある。お言葉に甘えて、時間が許す限りからだを休ませよう。 ※ ※ ※ 夕餉をいただき、入浴も済ませた私は部屋で刀の手入れを。 もしかすれば、あの妖怪が来るかもしれないと予想して。 これは期待なのか、抗えない運命を待ってるのか。 手入れを終えた私はお嬢様の部屋へ。 お嬢様がお休みになれば、そこからが私の仕事。 お声をかけて部屋に失礼すると、お嬢様が湿布を換えてくださった。 「大丈夫よ。あの妖怪が来るかどうかなんてわからないから」 深い夜に近づいてくこの時間。私自身は緊張していた。 いざ対峙して負けることはない。勝てる自身がある。 そう確信していたとはいえ、あの不気味な笑顔が忘れられない自分がいる。 きっと、私は強張ったな顔をしていた。 だからお嬢様は私をあやすような事を仰ったのだろう。 「それとも妖夢はあの妖怪と闘いたいの?」 お嬢様はそう続けられた。ひどく悲しそうなお顔をして。 「私はただ、お嬢様に害をなすような輩が放っておけないだけです」 「……そう」 お嬢様は納得された。 どこか不満があり、私にはそれを悟らせないように納得する仕草をされただけの様にも見えるが。 「そこまで言うなら、止めはしないわ」 酷く切ないお顔で、お嬢様はそう続けられた。 「ありがとうございます。お休みなさいませ」 お声をかけて、部屋を出る。 靴を履き、夜の庭へ。腰には、二本の刀。 気持ちを引き締める。もし妖怪が現れようものなら、笑えないほどに斬る。 二百由旬の庭へと駆け出す。肩の調子はそれなりに戻っているようだ。体調もいい。 この見回りで、あの妖怪は出るのか。遊戯と称して命の取り合いを申し込まれるのだろうか。 時間の経過とともに、白玉楼の空は宵闇に食われていった。 庭の一角に、一際濃い闇が潜んでいた。 見つけた瞬間に理解した。間違いない。ルーミアがいる。 この暗黒生み出す妖怪は、誰かに見つけてもらおうとここにいたということ。 近づけば、闇そのものから声がした。 「今度は最後まで付き合ってね、人魂つきの人間さん」 まだ顔は見えない。でも声の調子からしてやはりルーミアだ。 「昨日は邪魔が入ったもんねー」 無邪気な声色とは裏腹に、狂気に狂喜する妖怪の笑顔が目に浮かぶ。 「前戯だけで終わりだなんて、わたしは嫌よ?」 「……お前が終わるように、私が終わらせてやる」 「ふふっ、そうこなくっちゃ」 楼観剣。白楼剣。二つの妖刀を握る。まだ肩に若干の痛みが残る。 だが、刀を扱う力は回復している。きっと大丈夫だ。 抜刀し、構える。 周囲が宵闇に覆われていく。刀がほんの僅かの光を吸収してか、それ自体が白く光る。 「あら、不思議ねその刀。おもしろそう」 「ただのおもちゃじゃない。この刀はお前のような妖怪を斬るのに勿体無いぐらいの、高価なおもちゃだ」 闇に映える、金の髪が見えてきた。次に満月のような狂った赤い瞳。最後に彼女の荒ぶる腕。 真っ直ぐ、何の迷いも無い妖怪の突進。なんと愚かな戦法か。 長刀で切り落とした。距離を取って様子を見る。 昨日とは段違いの切れ味に、妖怪が口をさらに吊り上げる。 腕を傷つけるだけでは済まない。むしろ、その腕を切り落とすつもりの太刀筋。 よっぽど頑丈なのか、妖力に抵抗があるのか、腕を切り落とすまでもなく深い刀傷がついただけだった。 「あらいやだ。もうこんなにおべべが汚れた。おまけに、もうこの腕使い物にならないわ」 「独り言が煩いわよ、妖怪。私はあなたの遊びに付き合うつもりは毛頭ない」 「そう、残念ね。でもここまでされたのなら無理矢理にでも付き合ってもらう」 闇が、震えた。ルーアミの体から発する、暗い気孔。負の力。黒い感情。 その次に見えたものは、きめ細かな弾幕模様。昨夜のものとは、大違い。芸術と呼べるほどの美を成す、殺人の結晶。 「これほどの力があるなんて……!」 「甘く見られていたなんて、悲しいわ」 私を狙う弾を避ける。意図的に狙わない弾にひっかからないよう、肉薄していく。 わずかほどの隙間に入りこむように、刀を振るって道を作って近づく。 そしてルーミアに繋がる道ができるその瞬間に、スペルカードを発動させる。 「人符『現世斬』!」 踏み込み、ルーミアに斬り切り舞。術により増加される妖力によって一層強く輝く妖刀。 ルーミアの放った弾幕ごと、妖怪ごと、闇ごと刃速神速の乱舞を切り刻む。 「これでも、遊びの一環だとお前は笑うのか?」 斬り捨て、距離を置いた。妖怪は黙して、地面に倒れた。 動かなくなった宵闇の妖怪。まさかこれほどの術ごときで倒せてしまうとは。 先ほどの弾幕が切り札だというのだろうか。 あの笑顔を地に沈めたまま、やはり動かない。 悪魔の歓喜に似た表情を二度と見ることがなくなったことに、思わず安堵のため息が漏れた。 しかしおかしい。死に絶えた妖怪は死体を残すことなく、霧散するはず。なのに、消えない。 まだ息があるのか。ならばとどめをさすべきだ。 刀を構えたところで、目の前を紅い布切れが落ちていった。拾ってみると、やはりただの布切れ。 しかしただの紙切れではない様子。読めない文字が書かれている。 使いの者が掃除し忘れたのか、と思った矢先にルーミアの体が動いた。 「なに!?」 驚きが漏れる。立ち上がるルーミア。どこか雰囲気が違って見えた。 そう。例えるなら、瀕死の者が力を振り絞って立ち上がったわけではなく。 さらなる自分の力を解放した怪物のように。新たな自分に目覚めた悪魔のように。そこに存在する。 立ちはだかったルーミアは以前より増して髪が長くなっており、背丈まで大きくなっている。 体から発する暗闇はもはや毒と呼べるほど、恐怖心を煽る力を帯びていた。 壊したはずの腕は、全快している。 さらに醜く、美しくなった笑顔を向けてルーミアは喋った。 「ありがとう、魂魄妖夢。あなたのお陰でもっと遊べそうだわ」 その美しさに最早妖怪の面影はないように感じた。妖怪よりむしろ怖い人間の女、魔女のようなもの。 ルーミアの頭をみると、あったはずのものがないことに気づいた。リボンがない。 持っていた布切れを見た。まさか? この布切れもといリボンが、ルーミアの力を抑えていた? 「もう、そんなものいらない」 ルーミアが言葉を発すると、布は自然発火し、消滅した。 「ルーミア……?」 「まさかあんな符術にあっさりと倒れてしまうなんて。興ざめさせてしまった貴女に申し訳ないわよね」 再び闇が震える。膨大な力の胎動に空間が振動する。その振動と共に、周囲に展開される大量の黒色弾幕。 「このままじゃ……!」 まずい。相手の体から発するオーラがさっきとは質の次元が違う。 幽々子様が楽園の巫女相手に放ったオーラよりも、危険で強大なもの。 距離を取るべきだ。そうだ、間を置いて様子を見るべきだ。一旦逃げるべきだ。 そう思っていても、足が動かない。 感じたことも無い強すぎる妖力を前に、私は怖くて震えていた。 不覚にも恐怖にすくんだ自分。隙間が見えないほど、整列された弾の数々。 いや、正確にはどんな攻撃が展開されているかはわからない。 怖くて、前を正視することができないから。 「あ……う……」 言葉が出ない。弾が動き出す。 刀を握る手が震えている。 如何にして自分を守れるのだろうか。 如何なるスペルカードを使えばこれを防げるのだろうか。 どんな手段を以ってすればこの妖怪を倒せるというのだろうか。 こんなにも未熟な自分に、お嬢様を守りきれるのだろうか。 「ねえ魂魄妖夢。聖者は十字架に磔けられましたっていう風に見える?」 腕を水平に伸ばしたルーミアが、私に問う。 そんな質問に答える余裕さえない。怖いから。 弾が回りだす。私の周囲を。 逃げ道が無い状態から、徐々に弾幕の壁が迫る。 咄嗟に、思いつくスペルカード名を叫んだ。 黒い弾幕は怯まない。私の妖力さえ飲み込まれる。 いたずらに刀を振るっても、逆に弾かれるだけ。 そしてその弾幕は、私さえも飲み込んだ。 体のあちこちが痛い。幻の自分はともかく、生身の私には大問題。 圧倒的な質量と高密度の攻撃を、ただこの体で受けるのみ。 倒れても、叫んでも、泣いても一斉射撃は止まらない。 刀で身をかばっても、押さえきれない砲撃の威力。 どれだけの時間を、苦痛で過ごしたのだろうか。 ルーミアの弾幕が終わった頃には、立ち上がる体力もなかった。 「へぇ……まだ生きてるんだ」 「……うる、さい」 発音するのがやっとだった。 掠れる景色の中、ルーミアが見下していた。 何がそんなに彼女を笑いに誘うのか。愚かで脆弱な私を笑うのか。 「良く耐えたわ。人間の体にしてはきっと丈夫な方よ貴女。所詮、その程度だけど」 「う……」 「残念ね。遊びが終わっちゃうなんて」 再度、ルーミアの周囲に暗黒の弾が浮き出てきた。 見とれてしまうほどの模様を織り成す弾幕。 「さようなら、半人」 その言葉が引き金となり、凶弾が動き出す。 このままでは本当に殺されてしまう。 ああ。悔しい。この妖怪の笑顔を斬ってやるとお嬢様に言ったのに。 そのくせ自分は屈服して、絶望している。 この程度の危機で、自分の体を動かせないなんて。 そうだ。私は魂魄妖夢。この白玉楼をお守りさせて頂くために私はいるんだ。 こんな妖怪風情に私の力は敗れるのか? そんなわけにはいかない。 こんな傷ついた体でも私はお嬢様を守れるのか? 可能なはずだ。 今目の前の妖怪を斬れるのか? できる。やってみせる。 お嬢様を守るためなら、この命──とうの昔に投げ捨ている。 迫り来る弾幕。今度は目を背けない。 僅かに見えるその隙間。美しさ故に法則性があり、生じる隙間にも法則性があるはず。 ならば、その法則性に則って体を動かすだけだった。 足が痛い。それでも動く。動かす。走れる。ルーミアに近づける。 手も痛い。それでも刀をしっかり握れる。斬ってみせる。あの憎たらしい笑顔。 楼観剣と白楼剣。その刀が私の気持ちに応えてか、力強く光る。妖気を帯びて輝く。 叫ぶ。傷ついてもなお、体は動く。接近、肉薄、接触。振り下ろし、刻んで、残心。 初めて、ルーミアが表情を変えた。苦痛に歪むその笑顔。 「いいじゃない。そうこなくっちゃ、半身」 「私は半身なだけではない!」 敵が動く。昨夜のと違い、牽制を織り交ぜるその動き。 ただ急所を狙うだけではなく、幾重ものフェイントを駆使する攻撃。 それでも、相手は素手。届くまでに、斬るのみ。 「いくらでも腕を伸ばすがいい。使い物にならないまで斬り潰す!」 「そうよ、魂魄妖夢。それぐらいの張り合いがなくっちゃ、楽しめないわ」 敵も本気。一筋縄ではいかなくなってきた。 私の周囲を縦横無尽に駆け回り、いくつもの急所を狙われる。 しっかりと見えていても、払いきれない攻撃も出てくる。 腹を狙った相手の蹴りをさばいた。が、その次の攻撃に対処しきれなかった。 もう一度、右肩を殴られる。前のような生やさしいダメージではなかった。吹っ飛ばされた。 起き上がり、右手の反応が鈍いことに気がつく。とうとう武器を取ることができなくなった。 大した問題じゃない。そう思えた。こんなやつ、一刀で十分だと。 白楼剣を収め、楼観剣を握った。距離を詰めたルーミアは目前に迫っている。 「その一本で勝てるの?」 「なら、私ごとき倒して見せなさい」 起き上がり、飛んできた相手の右腕をかわす。隙を曝け出したルーミア。 私のやられた、右肩へ楼観剣を突き刺した。カウンターの一撃。 ルーミアは堪らず暴れだした。 後ろへ飛び、白楼剣を抜刀。ルーミアは楼観剣を自身の体から引き抜き、投げ捨てた。 「やるじゃない、半身。正直、わたしも貴女を甘く見ていた」 「ふん、まだ余裕があるのね妖怪」 これ以上相手が強くなるのは勘弁して欲しいほどだ。が、弱音を吐くわけにもいかない意地もある。 ルーミアの駆ける速さはさらに上がり、こちらは防戦一方になってしまった。 反撃のチャンスを狙うも、我慢するしかない。 相手の表情も笑うだけでなくなり、必死さも見れるようになった。 こちらとしてもそろそろ体力の限界だ。そろそろ決着をつけないと。 隙を突いた攻撃で怯ませ、飛んで楼観剣を取った。 ルーミアが空気を読んだのか、立ち尽くす。 「そろそろ遊びも終わりにしようかしら」 「いいわ。終わらせてやる……!」 左手から力を抜く。目を見開き、集中する。一刀に妖気を集める。 相手も左手に力を籠めていた。ルーミアの左腕が赤く輝く。 次に訪れるは束の間の静寂。相手の目を見つめた。ルーミアも私をみつめていた。 「人鬼『未来永劫斬』!」 一つのスペルカードを叫んで、踏み込む。ルーミアが咆哮し、走った。 迅る楼観剣。飛び出すルーミアの赤い腕。お互いの目の前でそれが交差する。 一瞬にして、刹那の時間。 幾万もの太刀筋と、一つの暴力とのぶつかり合い。 私がルーミアに永劫とも言えるほどの乱舞を刻む。 ルーミアが暗黒の力を纏った絶望の赤い腕で私を穿つ。 お互いが重なって、すり抜けた。 再び訪れる無音の時間。私は刀を納めた。振り返れば、相手も構えを解いていた。 「わたしの負けだわ、魂魄妖夢。あなたは最後までわたしの遊びに付き合ってくれなかった」 「……お前ごとき妖怪に、この白玉楼で好きにはさせない。この私、魂魄妖夢が、いる限り」 ルーミアは力無くして倒れた。気が抜けて、手から愛刀が落ちた。 体中が痣だらけ。手腕はぼろぼろで、足も立つのがやっと。 強烈な打撃を見舞われた腹のダメージも酷い。内臓は大丈夫なのだろうか。 倒れてしまいそうだが、それこそ自分も起きれなくなるんじゃないかと思った。 刀を拾い、収めた。ルーミアに近づく。まだ、この妖怪は消えない。 あれだけの斬撃を刻んでやっても、気を失う程度だったらしい。 相変わらず自分の実力に悲観する。 それはそうと、後はこの妖怪にとどめを刺すだけである。 また強くなって復活などされては、もう勝ち目はない。 刀に手をやったとき、後ろから私を呼ぶ声がした。お嬢様のご友人にして幻想郷の境界妖怪、焼くも紫様だ。 「そこまでよ、妖夢」 「なぜ止めるのですか、紫様。この妖怪は曲者です。ならば、斬るのが私の使命」 「しかし、お前に敵う相手ではないことぐらいわかったわよね?」 「……はい」 「もっと早くに来たかったのだけれど……幽々子に止められていてね」 「……え?」 「この妖怪の力を封じるわ。あなたはもう十分がんばった。ここまでこの妖怪を追い詰めただけでも大したものだから」 「紫様……」 「さあ休みなさい、妖夢。後は私に任せて」 紫様に抱かれて、私の弱っていた意識は落ちた。 ※ ※ ※ 目が覚めれば、そこは自分の部屋だった。木造りの天井が見える。 自分を見ると、包帯やら絆創膏だらけ。生きていることは確かだ。 枕元にある二つの妖刀を見て、安心した。 お嬢様の声がして、襖が開いた。すごく、久しい感じ。 私を見たお嬢様は、涙を流していた。お嬢様が、私に飛びついた。 「あれほど言ったのに、無理をするなんて。悪い子」 「ごめん、なさい……」 強く抱きしめてくださるお嬢様。私も、お嬢様を抱き返した。 「紫から話は聞いたわ。力を封じられていた妖怪だって」 「私がその封印を開放してしまったようでしたが……」 「でも妖夢は生きて帰ってきた。おまけにその妖怪を黙らせて」 「正直、殺されるかもしれませんでした……」 「わたしが出れば良かったんだけど、あんまり妖夢が必死だったから止めなかったのよ」 「ご存知だったんですか?」 「さあね」 お嬢様が、いたずらっぽく笑った。 色んな意味を含んだ、笑みだ。 少なくとも、ルーミアの笑顔よりすごく感じのいい笑顔。 「忘れていたわ、妖夢。それよりおやつにしましょう」 「それは名案です。私も喉が渇いて仕方がありません」 お嬢様の笑顔のためなら、この命、すでに捨てている。 この白玉楼のためなら、どんな敵でも斬ってみせましょう。 幽々子様のためなら、邪魔となる宵闇でさえも切り捨ててみせましょう。 それが私、魂魄妖夢の成すべきことなのだから。 --------------------------------------------- 当サークルでは気に入っていただけた作品への投票を受け付けています。 よろしかったらご協力ください。時々投票結果をチェックして悦に浸るためです。 └→投票ページはこちら(タグ系が貼り付けられないため、外部ブログになります) ジャンル別一覧
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